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小さな古民家の大きな歴史。花倉地区「西郷隆盛蘇生の地」

ハイこんにちは。茶一平 @whi2 です。

仙巌園の少し先にある小さな古民家。
線路沿いにポツンと建つ「西郷隆盛蘇生の地」

海に飛び込んで自殺しようとした西郷さんが生き返った場所。

行きにくい場所なのでスルーされがちですけど
この小さな古民家にもたくさんの物語があります。

というわけで「西郷隆盛蘇生の地」についてお話しますね。

「西郷隆盛蘇生の家」の見どころ

この場所には大きな建物やきれいな景色はありません。
戸を締め切った小さな古民家。そしていくつかの石碑があるだけです。

  1. 西郷隆盛蘇生の家
  2. 月照上人遷化の碑
  3. 坂下長右衛門誕生の碑
  4. 西郷先生蘇生之遺跡碑

主に4つ。ひとつひとつお話していきます。

西郷隆盛蘇生の家

いまから160年前の冬。海に飛び込んで自殺した西郷さんと月照さん。
ふたりを海から引き上げたとき2人は息をしていません
いそいで浜辺に船を移動させます。

このとき浜辺のそばに住んでいた坂下長右衛門さんの家に2人は運び込まれました。
ここは坂下さんが住んでいた家を復元したものです。
外から見るだけで中には入れません。

西郷さんたちと一緒に船に乗っていた坂口周右衛門さんや大槻重助さん達。
彼らは必死で坂下さんの家に駆け込むと、雨戸を借りて急いで家に運びます。

冬の海に飛び込んだ2人の体は冷え切っていました

近所に住んでいる人たちに焚き木を集めてもらって
火をもやして2人のからだを温めます。

坂口さんは西郷さんを。大槻さんは月照さんを懸命に介抱します。

すると西郷さんは息を吹き返し、弱々しいながらも呼吸をできるまで回復したのです。
しかし月照さん。蘇生マッサージやお灸などできる限りをつくしました。
けれど残念ながら生き返りませんでした。

西郷さんが息を吹き返して月照さんが亡くなった理由
西郷さんはガッシリ体格、月照さんは痩せ気味だったので
体力の差では無いかと言われてます。

鹿児島に到着したばかりの月照さんは疲れもあったかもしれません。

「蘇生の家」の復元について

ちなみに坂下さんの家。
1900年ごろに目の前の日豊本線が開通するとき。
線路をつくるために家の一部を壊すことになりました。

そのあと坂下さんの子孫の坂下宗四郎さんから鹿児島市へ寄贈

老朽化のため今から49年前に取り壊し、現在のカタチに復元されてます。
復元の際は宗四郎さんのいとこ坂下キクさんの記憶を元に再現されてます。

月照上人遷化(せんげ)の碑

悲しいことにお亡くなりなってしまった月照さん。
その悲劇を記念する石碑が「蘇生の家」から少し離れた岩の上にあります。

「遷化(せんげ)」「お坊さんが亡くなった」って意味です。

もともと月照さんは京都のお寺のお坊さん

京都のお坊さんがなんで鹿児島で自殺してしまったのか。
少しお話しますね。

江戸幕府から狙われた月照上人

月照さんは色々な人脈のあった人。

月照さんは歌を近衛忠煕(このえただひろ)さんから教えてもらっていました。

近衛さんは公家さんで天皇側の人。
月照さんは近衛さん達と交流するうちに「尊王」の考えが強くなります。

尊王ってのは天皇をいちばん大事にって考え方。

月照さんは「朝廷-公家-幕府」の間で裏工作をするようになりますが
そこを老中井伊直弼さんに狙われました。

安政の大獄という大弾圧です。

近衛さんは西郷さんに頼みます。

「どうか月照さんを保護してほしい。あなたを男の中の男と見込んで頼む。」

薩摩藩の命令で同じく裏工作に動いていた西郷さん。
近衛さんとは面識もあり、月照さんは尊敬する人でした。
先日、西郷さんが敬愛する鹿児島の殿様島津斉彬さんが急死したとき、
あとを追って自殺しようとした西郷さんを引き止めた人でもあります。

月照さんは同じ尊王の考えをもつ薩摩藩の仲間
「薩摩藩なら保護してもらえる」と信じて月照さんを鹿児島へ連れて行きます。

しかし斉彬さんが死んで状況は一変

「安政の大獄」弾圧を恐れて動けない薩摩藩
かくまってもらう予定のお寺日高存竜院に裏切られただけでなく
薩摩藩は月照さんの身柄を確保し、幕府に報告してしまいます。

そして薩摩藩は西郷さんに密命を下しました。

「幕府の使者といっしょに、月照を日向国の法華嶽寺へ連れて行け」

薩摩藩のルールとして、薩摩から日向へ連れていく密命を
「東目おくり」または「永おくり」言われていました。

「連れていく途中に殺せ」って秘密の命令です。

西郷さんは悩みます。
薩摩藩に失望するけれど命令を破る事はできない。
しかし自殺を止めてくれた、自分の尊敬する月照さんを殺すこともできない。
自分を信頼してくれた近衛さんや月照さんに申し訳ない。

悩んで悩んで決めたのは「いっしょに死ぬ」こと。

月照さんに日向に行くことになった事だけ伝える西郷さん。
しかし西郷さんの様子から月照さんは全てを悟ったのかもしれません。

幕府の使者である坂口さん、月照さんと一緒に来た筑前の平野国臣さん。
重助さんと船頭の庄五郎さん。そして西郷さんと月照さんは船にのって出発しました。

船ではみんなで酒を飲み、歌を楽しんだあと。

みんなが寝静まったのを確認した西郷さんと月照さん。
月明かりのなか最後に歌を読んで、海へ飛び込んだのでした。

坂下長右衛門誕生の碑

さて、西郷さん達を助けてくれた坂下長右衛門さん。
この方の「誕生の碑」が家の近くの案内板の下に建ってます。

坂下さんはをしたり豆腐を作ったり
目の前の磯街道をとおる旅人むけにお茶屋さんをしていたりした一般の人

だけどこの人がいなければ西郷さんは死んでいたかもしれない。
そう考えるととっても大事な人ですね。

西郷先生蘇生之遺跡碑

西郷さん関連の史跡には東郷平八郎さんの書いた石碑がある、
ってパターンがいくつかあります。

東郷さんが「西郷先生蘇生之遺跡」と書いた石碑。
「蘇生の家」の踏切ちかく。ここから始まる花倉坂の入り口に建っています。

ここから始まる花倉坂は西南戦争の古戦場の1つ。

急な曲がり坂が多くて別名「七曲りの坂」とも言われます。
ここ「花倉地区」と山の上の「七社地区」をつなぐメインストリート。

残念ながら工事中のため通行禁止です。
くわしくはこちらを御覧ください。

吉野の「花倉坂」の現状について。「通れない!!」

 

さて4つの場所をお話しました。

小さな場所ですけど興味をもっていただけたら嬉しいです。

さいごにアクセス情報をお伝えしますね。

アクセス情報

まずは場所の基本情報。

  • 場所:西郷隆盛蘇生の家
  • 住所:鹿児島市吉野町9804 近く
  • 営業時間:年中無休
  • トイレ:なし
  • 自販機:なし
  • お店 :なし
  • 駐車場:なし
  • アクセス方法
    車 →ほとんど無理
    徒歩→仙巌園から徒歩25分くらい
    バス→バス停「花倉」から徒歩1分。バスは1時間に1~3台

車で行くのはほとんど無理

仙巌園から車で3分くらい。道路のとなりの線路沿いに建ってます。
桜島の見えるいい場所なんですけど
駐車場が無くて交通量の多い道路なので路上に停めるのは無理です。

仙巌園まで行けばバスは多いので徒歩&バスで行くのをオススメします。

歩道は狭くて車は多いので十分気をつけて行きましょう。